何事にも動じずに、何があっても平常心でいたい
嫌なことがあっても、いつもニコニコ穏やかでいたい
いつも前向き、ポジティブで楽しく過ごしたい

だから、ネガティブな感情なんていらないと思っていませんか。

でも、ポジティブな感情しかなく、ネガティブな感情がなかったとしたら、ハッピーなのでしょうか。

もしも、権利を侵害されるようなことに遭遇したら、
怒りが湧き上がってくるかもしれません。
その怒りは自分の価値、尊厳を守ろうとしてくれています。

身の危険を感じるようなことがあれば、不安や恐れを感じることで、危険を察知して、危険を回避したり、身を守るような行動が取れるかもしれません。

ポジティブな感情しかなかったら、生きていられないかもしれません

ネガティブな感情を感じるということは
私たち、人間が生存する上で標準装備されている身体の本能的な機能とも言えます。

生きるか死ぬかまでのことでなくても、

今までなかなか行動に移せなかったり、続かなかったことが、怒りや恐れ、あるいは悔しさや恥ずかしさなどの感情から、行動できたり、何かを成し遂げられたりしたというようなことも、見聞きしたり、体験をされたりしていませんか。

本来なら、楽しく、自然体で、取り組めたらいいのかもしれないけれど、ネガティブな感情がものすごい力となって、生きる助けになっていることもたくさんあると思うのです。

さらに、好きなことがわからない、やりたいことがわからないと感じているときは、

これは好きみたい、これはそうでもない。これはいい感じ、これはそうでもない。と、好き・嫌い、快・不快、その両方を感じることができると、そして、この感じる体験を繰り返していくと、自分は何が好きなことなのか、やりたいことが何なのか、クリアになってくると思うのです。

どうでしょう、ネガティブな感情もちょっと可愛く思えてきませんか

私たちは、みんな、すべての感情を持っています。
人に知られたくないような感情もあるかもしれません。
絶対に感じたくないと思っている感情もあるかもしれません。
私たち、みんなにあります。
全然おかしいことではありません

もしできそうなら

ネガティブな感情にも、自分の中に居場所を用意してみてはどうでしょう。

そして、こんな風に声をかけてみてはどうでしょう。

今まで無視してきて、ごめんね。本当はそこにいたんだね。そこにいていいよ。
いなくならなくていいよ。
だって、今までその姿で守ってくれてたんだもんね。
ずっと助けてくれてたんだもんね。ありがとう。

って。

と、書いている私自身、ネガティブな感情が湧いてくると、即効なかったことにしてきたタチです。今もあるあるです。
でも、今は、一回なかったことにしても、あとから登場してきてもらっています。出てきた感情を認めてあげるようにしています。時間差でも問題ありません。

喜怒哀楽、ポジティブもネガティブも、様々な感情を感じながら日々過ごすことが、生きることを楽しめているということなのかもしれない、そんな風に思うようになってきたのでした。