今年立てた目標が達成できない、日課がこなせないときは

こんにちは

うつ・不安があっても
心と身体に優しいセラピーで
誰もが心丈夫な人になる
日和風の佐藤海糸です。

 

今日もお越しくださり、ありがとうございます。

 

年の瀬ですね。

みなさんは、一年の振り返りや来年の目標を立てるということをしていますか?

私はここ数年はあえて、やっていなかったのですが、今年、久しぶりに振り返り、目標を立てるということをやってみました。

今、お世話になっているコミュニティで開催された、大振り返り会というものに参加させていただいたのですが、みんなで一緒に今年一年を振り返るのです。

みんなと言っても、個人で作業する時間がほとんどで、合間にサクッとシェアし合うというものなのです。

プロのナビゲートの元、作業していくと、やはり、効率的だし、効果も高いし、画面越しにでも、一緒に作業している人がいるのは、それだけで、効果が加速する感じがします。

 

ちょっと話はそれますが

カウンセリング・セラピーも同じだなと、そんなことを思っていました。

一人でできるセラピーもたくさんあって、ひとりでやるのももちろんいいけれど、誰かと一緒にやる、特にプロの人にナビゲートしてもらってすすめていくというのは、効率的だし、効果的。

 

話を戻して

 

久しぶりに振り返りをしてみて、どうだったかというと、とてもよかったです。

普段は日々、今ここに意識を向けていることが多いし、せいぜい、1ヶ月後くらい先を見越して考えるくらいしかしていないので、1年間を俯瞰してみると、普段は見えていないものが色々見えてきて、気づくことや、今後に活かせることも見えてきて、とてもよかったです。

 

ここでも、セッションと同じだなと。

悩んでいること、イヤな部分、痛みの部分にフォーカスすることもあれば、身体全体を俯瞰してみることが大事になる場面もあるし、どっちも大事だなと。

物事、なんでも同じだなと。

 

とまた話がそれましたが

 

ではなぜ、今まであえて振り返りや目標を立てるということをやっていなかったのか。

 

それはですね

 

自分で立てた目標に苦しめられていることに気がついたからです。

 

例えば

3月までに復職する

半年後には仕事量を通常に戻してもらう

とか

今年中に仕事を見つけて、就職する

とか

来年は、自分を変えたい

大丈夫な自分になっている

とか

 

日々の生活の中でも

朝6時に起きる

毎日30分散歩をする

お酒は飲まない

甘いものは控える

など

自分で決めて、守ろうとしていることもありますよね

 

立てた目標が達成できたり、日々の日課がこなせていたらいいのかもしれませんが

目標通りにならなかったり、日々の日課がこなせない状態が続くと、どうなるでしょう。

まあ、しょうがないと気にしない方もいるかもしれませんが

達成しなかったことに失望したり、できない自分を責めたりして、苦しくなってしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか?

私もそうでした。

 

私たちは、目標を立てたり、日課を決めたりといった、自分にとって理想の状態をイメージしたとき、理想の状態に向かおうを力を注ぎます。

それは理想の自分と今の自分の間にギャップ、今の自分には足りないものがある、何かが欠けていると感じるからです。

何かが足りない、何かが欠けていると思うと、人はそれを埋めたくなります。

足りない、欠けている状態のままでいるのは気持ちが悪いからです。

これも、人として備わっている自然な働きです。

欠けている何かを埋める行動が、成長し続ける原動力になっていることもあります。

埋める行動がうまくいかない、埋めるものが違っていたりすると、苦しくなってしまうのです。

 

ではどうしたらいいのでしょうか?

 

そこで、先ほども話に出てきた、俯瞰です。

 

立てた目標や日課が達成できなかったとき

 

「誰かから、お前はダメだと言われそう」

「みんなが、受け入れてくれないに違いない」

 

と感じているかもしれません。

 

でも、よーくみてみてほしいのです。

 

そもそも、立てた目標や日課は、自分が決めたものですよね。

 

自分で勝手に決めたことに

自分がうまくできなくて落ち込んだり

自分を責めたり、怒ったり

 

全て、自分の中だけで起こっているんです。

 

お医者さんやカウンセラーさんや家族や友人などがアドバイスしてくれたことをやろうとしていることもあるかもしれませんが

 

でも、起こっていることは全部自分の中だけで起こっているんです。

 

自分で勝手に

〇〇しなければならない

と自分に課しているだけなんです。

 

で、それがうまくできないと

自分で自分をバッシングしているんです。

 

自分で勝手に課したものなんですよ。

それをしなかったからって、誰かに何か言われるわけでもないし

生きられなくなるわけでもないわけですよ。

 

自分に課したものがなかったら

そう、なかったら、今の自分はどうしていますか?

どうなっていますか?

 

課しているものがなかったら

今そこにいる自分の中には、何も起こっていなくて、平和なんです。

何もしないで、そのままでいても何も問題もないんです。

 

また、課したものをしなかったからといって

今の自分に何か大変なことが起こっていますか?

本当に困るでしょうか?

 

課したものをしなかったからといって

今ここにいる自分は、何も変わらず、そのままいるんです。

そのままで、いていいんです。

 

全て、自分が作り出した苦しみなんだと

 

そのことに気がついたら、目標を立てたり、日課を決めたりすることから、自由になってもいいんじゃないかと思えたのです。

 

それに気づいてからは、これやってみたいなとか、こうなったらいいなということがあったら、とりあえず、やってみるんです。

やってみて、どんな気持ちなのか、身体がどんな反応をしているのか意識を向けることに力を注ぐことにしたのです。

 

そんなことを続けていくと

試しにやってみたら、いい感じ!と続けられるようになることもあったり

やってみたものの、私にはムリだったんだなとわかって、撤退したり

これ、やってみたい!と思っても、なんとなく今ではないと、次回に先延ばしにしたり

ずっとやってみたいと思っていたけど、やれなかったことが、今だなとわかってチャレンジしたり

 

身体に意識を向け続けながら、生活していくと、心と身体の様子がわかってきます。

 

わかってくると

「これ、やってみてもいいかな?どうかな?」と

心や身体に聞いてみると、何かしら返答があって、相談し合って、答えを出すことができます。

 

心と身体と同志のような感覚になってきます。

 

そうなってくると、自分を責めたり、怒ったりすることが減って、今までよりも自分に対して優しい眼差しを向けられるようになってきます。

 

そんな風になれたら、目標を設定したり、日課を決めて、がんばってみるのも悪くないと思えるのかもしれません。

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 

どうか温かくして、よいお年をお迎えください。

来年もよろしくお願いいたします。